将棋ウォーズというオンライン将棋アプリには弱い相手と対局するためのオプション設定がある。「少し弱め」「かなり弱め」だ。これらに設定すると弱い相手とマッチングされるようになる。
しかも「かなり弱め」は有料のオプションである。こんなものにお金を払う人がいるというのが面白い。確かに自分より弱い相手とやって勝てると気分が良いのかも知れない。
よく考えてみると、私のまわりにも長年将棋をやっているのに初段から棋力が一向に上がらないという人が結構いる。うちの親父にしても、せっかく父の日に激指14をプレゼントしてあげたのに、激指5がお気に入りらしく、激指14を使おうともしない。
つまり、強い相手とやりたくないのである。負けるのが悔しいし、かと言って勝つために努力もしたくないのである。上達することを放棄しているわけである。そんな状態で将棋をやっていて楽しいのかと言うと、これが存外とても楽しいようである。
将棋をやっていると頭を使う。羽生三冠とうちの親父、どちらも将棋をやっているときの脳が消費するエネルギー自体はおそらく同じぐらいだろう。うちの親父がいくら弱いからと言って、消費するエネルギーが人と比べて少ないわけではないだろうし、頭を使っていないわけでもない。ちゃんと局面を探索しているわけだから、頭は(親父にとっては)フル回転しているはずだ。
このフル回転している状態というのが人間、気持ちいいわけで、ここに快楽がある。その反面、新たな物事や概念を覚えようとしたり、新たなスキルを習得しようとしたときには、ある種の苦痛を伴う。だから、親父は強くなるための努力はしたくないわけである。
さらに言うと将棋ウォーズはネット対局だから、いくらでも自分より強い人間がいて、自分が強くなったら(その強くなった自分と)同じぐらいの棋力の相手とマッチングする。だから、自分が強くなったところで、勝率はちっとも上がらない。いくら強くなったところで負ける割合は何も変わらないわけである。これでは強くなろうというモチベーション自体が得られないのも無理はない。だから自分は強くなることを放棄して、ただただ弱い相手とやりたいわけである。
ネット将棋では、20年以上前に、例えばYahoo将棋ですでにその兆候はあった。わざと初手で投了ボタンを押し、負け続けることでレーティングを低くし、そして弱い相手と対局して勝つ。レーティングを低くしておかないと相手が試合を受けてくれないので、低くしておく必要があるというわけだ。あるいは新規IDで弱い相手とのみ対局し、レーティングが上がってきたら、また新規IDを取得するというものだ。
無意識のうちに、こういう状態に陥っている人もいるが、物事を上達しないほとんどの人は私の親父のように自覚的に新しいことを覚えることを避けている。かと言って頭を使うことが嫌なのではない。頭は使いたいわけである。しかし、新しいことを覚えたくないのである。
当然、こういうやり方をする以上、将棋の棋力は何年経っても上がらない。でも彼らは上がらなくていいんだろうとも思うし、それを彼らは自ら望んでいる節もある。
上達しない生き方。賢くならない生き方。そういう生き方を否定するのではなく、そういう生き方もあるのだと将棋ウォーズは教えてくれたように思う。
私は今年五〇ですが、ずっと初段よりも強くなりたいと思い、檄指14で一日三〇局ほど指したり、あるいは最近でも将棋ウォーズでも五〇局も六〇局も指したりしたときもありますが、それ以上に強くなることはありませんでした。勉強の仕方が間違っているのかもしれませんが、どうしても限界というものを感じざるを得ず、今は楽しんで指す方向でやってますが、だんだん弱くなっているようです。年齢を重ねても棋力を維持するというだけでもお父様は偉いのではないかと思います
コンピューター将棋も少しずつですが勉強しています。ただ、分からないことも多いために壁に突き当たってそれから進めなかったりもしますが、何とか少しずつでも乗り越えようと思っています。こういう人間もいると思って下さると幸いです。これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします
初段ぐらいですと指し将棋はいくらやっても読みの訓練ぐらいにしかならないですね。それよりは、適当な局面を与えてコンピューター将棋で候補手を複数表示させて、そのうちの上位5手をひたすら当てる訓練だとか、そういうので直感を養うと良いのではないかと。
アドバイスありがとうございます。仰るとおり試してみたいと思います
やねうらさんに、哲学的で天才の息子さんがいることはツイッターで存じていましたが、個性的な?お父様もいらしたのですね。お父様<やねうらさん<息子さんと世代ごとに天才度が上がって行くように読めてしまいますが(もちろん実際どうかは分かりませんけど)、ほのぼのとした感じを受けました。激指14でなく、やねうら王をインストールしてあげたら、息子の作ったソフトに負けるのは我慢ならんとかなるのでしょうか?私も50歳を過ぎているので、将棋が強くなりたいというモチベーションも低く(でも楽しい)、そもそも今さら向上の余地が有るのだろうかと思います。やねうらさんが、何歳なのか存じ上げませんが、40代半ばになると大概老眼が始まり、その後は老化ということを実感させられます。
温かいコメント、ありがとうございます。まあ、うちの親父は、将棋ソフトで女流棋士が読み上げてくれたり、女流棋士の声で「負けました」と言ってくれるのが嬉しいようで、将棋所とかShogiGUIの色気無さはお気に召さないようです。あ、私がGUIを作ればいいのか…。
それ、私も欲しいです。。。
ソフトが
「自然な弱さ」
「個性的な棋風」
を持つのはまだまだ先ですか?
ソフトが圧倒的に強ければ個性(に見えるもの)を持たせるのは難しくないんじゃないですかね。
スーパーマリオで遊び続けたエリートなんで……☆(^~^) だからわたしは賢いのかだぜ☆(^▽^)www
一つのことに集中できるのはまあ才能なんやろな…。
凡人の上に出られるほどの性能はあっても、天才に届くまでの性能はないという位置になってしまうと、凡人は相手してくれなくなるし、天才には負けっぱなしになるしで、結局凡人のふりをし続けるしかなくなることってあるあるw